JA佐賀に擁立されて当選した山口祥義氏は明治7年の佐賀の乱を意識していた。征韓論で下野した江藤新平は政敵大久保利通と対立して佐賀の乱を起こし、悲惨な最後を遂げてしまった。140年の時を越えた農協の佐賀の乱は江藤新平の無念を晴らすことができるのか?
先日行われた佐賀県知事選では安倍政権(中央政府)に逆らい、佐賀県の農協が独自の候補、山口祥義氏を立て当選した。山口祥義氏は選挙期間中からブログ上で佐賀の乱について勉強中であると書いていたので、彼を擁立した人間(全農の会長中野吉實氏か?)から佐賀の乱について学ぶように言われたのであろう。
佐賀の乱は明治初期、急激な改革を進める明治政府に対して数万人の佐賀の不平士族が江藤新平を担ぎあげ中央政府と戦ったことをいう。江藤新平は法務卿として日本の基礎となる法体系を整えた佐賀の歴史上最高の功労者、出世頭であったが、大久保利通との政争に敗れ、西郷隆盛とともに下野し、佐賀の乱で敗れ悲惨な最後を遂げることになる。
佐賀の乱という戦いで中央政府に敗れ、江藤新平というヒーローを斬首された佐賀は計り知れないほどのダメージを受けたばかりではなく、長崎県と併合されるという徹底的な迫害をうけることになる。佐賀はこのとき日本から消されたと言ってもよく、その時のショックは今現在まで佐賀県人に引きづられているといってもいいだろう。
中央に逆らうとどんな悲惨な結果になるのか、県民のDNA、骨身に染みていると言ってもいいほどだが、一方で今回の佐賀の乱が江藤新平の悲劇を乗り越え、日本の新しい未来につながることを期待したい。
農協には既得権益にしがみつくような古い体質を改善してもらわなければいけないのも事実だが、佐賀の事は佐賀で決めるという地方分権の新しい萌芽へとつなげていただきたいものだ。